ヴェズレイ
ヴェズレイの聖堂は、サント・マドレーヌ寺院と呼ばれ、マグダラのマリアを祭る長方形のバジリカです。マリアの遺骨は地下のクリプトの鉄柵の奥に、金色に輝く動物が担ぐ小さな棺に収められています。マグダラのマリアはキリストの死を見守った女性で、復活後のキリストが真っ先に彼女の前に現れたとされています。エルサレムを追われ、地中海を渡り、マルセイユに辿り着き、死後遺骨がこの地に運ばれたといわれています。
ヴェズレイは第二回十字軍がここに集結し、出発した地でもあります。さらに、スペインの聖地、サンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼の出発点として有名です。
ロマネスク様式はゴシック(例:パリのノートルダム)以前の様式で、天高くそびえる尖塔が無く、十字架の形をとらずギリシャやローマの神殿のような長方形をしています。半円形のアーチが幾重にも屋根を支え、 円柱上部のレリーフの他にほとんど装飾がありません。簡素な聖堂内部は、神に向かって自己を高めようとしたゴシックと違い、自己を低める方向、「自己無化」に向けられた場所だったことを物語っています。入口の扉をくぐると広い部屋(ナルテックス)があり、その正面の扉が聖堂への本当の入口になっています。ファサード上部の半円形の面(タンパン)に施されたレリーフに、キリストを中心とする中世の人々の素朴な世界観を見ることができます。 (ヘッダー左上写真)複製がパリの建築美術館にあります。
オペラで有名な「カルメン」を書いた小説家のプロスペル・メリメは、ちょうど戦後のフランスでドゴール大統領治下の文化相だったアンドレ・マルローと同じような役割を、19世紀のフランスで果たしました。ほとんど廃墟と化していたヴェズレイの聖堂の修復工事がメリメの主導のもとに行われます。19世紀の建築家で中世建築の大家、パリのノートルダム寺院や、パリの北のピエルフォンの城を修復し、膨大な中世建築辞典を著したヴィオレ・ル・デユックにメリメは依頼し、この聖堂の修復が行われました。
地下のクリプトの階段を上がったところに大きな木の十字架が立っています。第二次大戦終了直後、1946年にドイツから、この十字架を背負って、ここに運んだと記されています。
ヴェズレイの丘は、戦後世代には懐かしい作家ロマン・ロランが晩年を過ごし没した地です。ヴェズレイの聖堂の裏からの眺め。目路の限り続く緩やかな丘の連なりを、「永遠の丘」と呼んだロマン・ロランは、限りない安らぎを抱いて眠りに就いたに違いありません。
オークセールのサン・ジェルマン 僧院
紀元5世紀半ばにオークセールの司教サン・ジェルマンを埋葬した地に、6世紀になり小礼拝堂が建立 されました。841年から859年にかけて造られたクリプトは、現存するヨーロッパでも最も見事なカロリンガ朝時代の建築で、そのフレスコ画はフランス最古のもの。その他の現存の建物は、13世紀から18世紀にかけて増築ないし修復されたものです。
サンブノワ
ロワール河畔にある大きな、ロマネスク様式の重層するアーチが美しい教会。柱頭のレリーフの人物や動物の素朴な表情は、ロマネスク時代の人々の世界観が偲ばれて興味深い。ところどころにピンクの色がにじみ出た壁の石も美しい。ジャンヌダルクはオルレアン開城を遂げた後、戴冠式を挙げにランスへ赴くシャルル7世に随行し、この教会に立ち寄っています。
ジェルミニ・デ・プレ
カロリンガ朝に建てられ、19世紀にプロスペル・メリメにより修復された、ビザンチン様式の小聖堂。ドイツのアーヘンにある8世紀末建立の小礼拝堂をモデルに、809年オルレアンの司教でサンブノワの司祭であり、シャルルマーニュ(カール大帝)の親しい顧問官だったテオドルフによって建立されました。クリプト奥のヴォールト(丸天井)のモザイクはフランスでは唯一のビザンチンの職人の手になるもの。
パルリー
サンファルジョーから20数km北の、谷と森の中の隠れ里のような小さな集落。ここの教会はオーカー の土壁に鉄分の多い褐色の石を埋め込んだ素朴なもので、屋根も非対称形ですが、ファサードはまぎれもなくロマネスクの半円形アーチ。後陣と鐘楼の外壁には、 ロンバルデイア帯に似た櫛型の模様が見られます。教会の隣の家が、修復工事関係者の事務所兼宿泊所で、看板に南仏のConqueの教会の修復を手掛けたチームとあります。
ムーチエ
サンファルジョーから9kmの、家が数軒しかない小集落に礼拝堂があります。外の壁はパルリーと似て褐色の石をオーカーの土で埋め込んだものです。13世紀の建立と推定されるこの教会の特徴は壁のフレスコ画です。カロリンガ期のフレスコ画と似ています。近年修復され、その修復を施したのは日本人でした。壁の下の隅に小さく「Takahashi」とあります。
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